ヴィッセル神戸の“継続的に勝てる”チームづくり データプラットフォーム部の立ち上げで変革へ

 最近のスポーツの世界では、選手の特徴を把握してトレーニングメニューを立案したり、対戦相手の弱点を分析して戦略を調整したり、さらにはファンの行動分析からマーケティング戦略を立案したりと、データの活用が欠かせない。もちろん、競技を行うのはアナログな人間なので、データ分析の通りにゲームが進むわけではない。とはいえ、勝率を上げ、継続的に勝てる選手やチームを育んでいくには、データを上手く活用することが重要となる。

ヴィッセル神戸のデータプラットフォーム部 その役割とは

兵庫県神戸市をホームタウンとするJリーグのプロサッカークラブ「ヴィッセル神戸」では、楽天グループのノウハウを活かし、データを活用することで強いチームを作ろうとしている

ヴィッセル神戸を運営する楽天ヴィッセル神戸。同社のデータプラットフォーム部 部長でデータマネジメント&プラットフォームグループ マネージャーでもある饗場雄太氏は、ビジネス側ではなく、競技側としてチームのデータ管理やデータ分析を担当する人物だ。饗場氏は2010年に新卒で楽天にエンジニアとして入社、アプリケーション開発エンジニアとして楽天市場の広告システムの開発や運用を担当。その後、開発から上流工程に仕事が変わるとプロジェクトやプロダクト管理などの業務を担当してきた。

たとえば、広告システムの開発と運用を担当していたときには、データログの集計からユーザーへの配信まで、広告主や営業担当者がデータを利用しやすい環境の整備に取り組み、BIツールなども駆使しながら「日々データとにらめっこ」するような経験も積んでいる。

2019年頃、ヴィッセル神戸にデータプラットフォーム部の前身となる部署が発足、楽天グループ内でのメンバー募集が行われると饗場氏は希望して異動する。「ちょうど経験も積み、これからのキャリアをどうするべきか考えていた時期でもありました。元々サッカーも好きで、おもしろそうな仕事だと自ら手を挙げました」と饗場氏。グループ内異動とはいえ、まったく異なるビジネス環境に転職のようなものだったと振り返る。

実は、ヴィッセル神戸にデータプラットフォーム部ができたのは、代表取締役会長でもある三木谷浩史氏が、サッカーという競技とチーム運営を元プロ選手の経験や感覚だけに頼っていたのでは駄目だと考えたことがきっかけだ。もちろん、元プロ選手の経験やノウハウが特別なものであることに間違いはない。しかし、「それだけに頼っていたのでは、その人がいなくなったときにどうなってしまうのか。そのような課題意識もあり、データ活用組織が必要になりました」と饗場氏は振り返る。

当時のヴィッセル神戸は、順位的にも中位から下位を行き来するなど、決して良好な状況ではなく、監督だけでなく選手も含めて入れ替わりも激しかった。監督やコーチ、選手それぞれは十分な経験や実績、メソッドなどを活かしてチームとしてパフォーマンスを発揮する。その傍ら、クラブ全体としてみたときに積み上げていけるものがどれくらいあったのか。スポーツのため良い時期もあれば苦しい時期もある中、勘や経験だけに頼らずにデータを用いて客観的かつ定量的に評価し、科学的アプローチで“継続的に強い”チームにしていきたい思いがあったという。

そこでデータプラットフォーム部が立ち上がり、データ活用のための基盤構築と運用、データ分析支援、ツールの導入と活用のサポートなど、組織横断でのデータ利活用を全方位的に支援している。「チーム側のデータ利活用を促進する役割とミッションを持ち、意思決定のクオリオティを上げる。そのための専任組織をもっているチームは、他にはないのでは」と饗場氏。アナリストなどを置くチームも少なくないが、ヴィッセル神戸のようにデータを蓄積・活用できるようにシステムを整備し、継続的にチームを強くすることを目的とした専門部署を置いているクラブはほとんどない。

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データプラットフォーム部が最初に着手したのは、データをしっかりと蓄積する仕組みからだ。「すべてのデータを一元管理し、未来永劫残していく。つまり、データを資産とするための環境が必要でした」と饗場氏。蓄積したデータを時系列に多様的な視点から見ることで、昨年と比べ何が違うのか、良いシーズンと悪いシーズンではどのポイントに違いがあるのか、そうした客観的なデータから分析できるように取り組みを進めている。既に2019年から4年ほどのデータが蓄積されており、「ようやくデータが効力を発揮しつつあります」とも言う。

たとえば選手が怪我をしたとき、どの選手がいつどんな怪我をし、どれだけ休んだかなどのデータは以前から溜まっていた。しかし、分析において不足するデータもあったため、まずはどのようなデータが必要なのか、そのすり合わせから取り組むことでシーズンの半期や終了時にデータを用いた振り返りが行えるようにしている。

特にサッカーはコンタクトスポーツという性質から、怪我を避けることは難しい。前シーズンは「怪我が多くて大変だった」で終わるのではなく、防げる怪我はどれくらいあり、それがどの選手にどのタイミングで発生したかを把握する。これができなければ、実際に怪我を防ぐ対策は打てない。「今ではデータから怪我に注意すべきタイミングを導き出し、トレーナーがアラートを発信することで周知しています」と饗場氏は言う。

また、選手にGPSとセンサーを搭載した端末を装着することで、試合中の走行距離やスピード、加速、減速などさまざまなデータを取得できる。それらのデータを用いることでコンディショニングのピークを試合日に調整することも可能だ。そのために日々どれくらいの負荷で練習すべきかなどの分析もフィジカルコーチを中心に行われている。

とはいえ、これはデータによる画一的な指標を示すものではない。選手やトレーナー、コーチなど、それぞれの視点にあわせて方向性を見極め、指導やアドバイスを行う。あくまでもデータはそのための客観的な材料として使われる。データで選手をコントロールしようとするのではなく、データは選手が自身を理解する助けであり、監督やコーチ、トレーナーとのコミュニケーションツールとしても機能する。

データは現場がより良い判断をするためのエッセンス

監督やコーチ、トレーナー、選手が試合に勝てる、より強いチームを作るために試行錯誤をして判断を下す。その際に「それぞれのニーズをしっかりと汲み取り、必要なデータが迅速に見られる環境を準備する。そこに我々の意味があると考えています」と饗場氏は語る。

たとえば若手の育成を考えた際、練習や試合で走った距離やスピードの結果だけを示して善し悪しを述べるのではなく、過去と比べた数字を用いて、同じポジションのトップ選手との差などを具体的に示す方がフィードバックとしては有用だろう。「そうしたデータをすぐに見られるように整備しており、実際にフィジカルコーチと若手選手が話をする中でデータを使っています」と饗場氏。

ヴィッセル神戸では、データをなるべくリアルタイムに集めるため、一部ではRPAなどの導入も進めている。加えて、限られたリソースの中でデータを整形し、ユーザーに提供する部分ではデータ活用プラットフォームの「Domo」も利用しているという。チームスタッフやコーチにデータをより活用してもらうには、見やすく使いやすいことが重要だ。その点Domoは評価が高く、楽天グループでも採用していることから、ノウハウを活かすことができるとして採用された。特に、一般企業のようにユーザーの多くがデスクにいるのではなく、練習場や各地のスタジアムなどでも使うため、「スマートフォンでも使いやすいこともポイントです」と饗場氏。モバイル環境への積極的な対応も評価できるとした。

また、試合前の対戦相手の分析、試合後の振り返りにもデータが活用されている。アナリストが映像で分析するのと同じように、データから得られた示唆を提供する。もちろん、監督やコーチの作戦、戦術策定でも映像やデータ分析の結果は使われる。とはいえ、「サッカーはかなりカオスなスポーツで、他の球技と比べても同じような場面が何回も起こりません。つまり、試合中の動きも再現性が少なく、データだけで切り取ることはかなり危険です」と饗場氏。切り取り方でデータはどんどん恣意的なものになりかねないとも指摘し、「データの危険性も十分に理解しています」と話す。

「気持ちやモチベーションで、試合が大きく覆る場面を何度も見てきました。データだけで語るには難しい部分があり、定量と定性のバランスが極めて重要です」(饗場氏)

中にはデータをあまり利用しない人もいる。だからこそ、それぞれの人を見て、どのような質と量のデータを、どのタイミングで提供するのか。それをチームの状態なども加味して判断しなければならない。饗場氏は「少しでも監督やコーチの手助けになるようなものを渡せればと考えています」と述べる。誰にどのようなデータを示すのか、ダッシュボードで見せるのか、それともデータだけをシンプルに出すべきかなども考慮が必要だ。

今後は大迫勇也選手をはじめとする、ヴィッセル神戸を牽引する“Top of Top”の選手たちがいる意味を未来につなげていきたいとして、「彼らは試合で活躍した結果だけではなく、試合でどのようなパフォーマンスを発揮したのか、筋肉量や体脂肪を含めた身体組成のデータ、世界を知る彼らの身体がどのように作られているのか、日々どのような練習をしているのかなど、データの側面からも多く貢献をしてくれています。それらのデータが若手の最良なベンチマークになるはずです」と饗場氏は話す。

今後は、さらなる予測精度の向上に力を入れていくことはもちろん、映像系データの分析においては、生成AIなどを使うことで効率化も考えているという。アナリストが映像分析するのにはかなりの時間を要するが、必要なシーンを生成AIなどで容易に取り出せるようになると効率化が可能だ。これらを実現するためにも、よりハイレベルな人材獲得も当面の課題となる。

もちろん、精度の高い予測結果が得られても、それだけで強いチームになるわけではない。あくまでもデータは実際に試合をする選手や監督、コーチなどがより良い判断を下すためのエッセンスだと饗場氏はあらためて強調する。質の高いデータでヴィッセル神戸のベースラインを上げ、継続的に勝てる強いチームにしていくための挑戦は続く。

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