そのピープルアナリティクスは、従業員を「非人格化」していないか

組織において、ますますデータが重視されていく中、人的資源管理においてもピープルアナリティクスの活用が進んでいる。さまざまな統計手法とインテリジェントテクノロジーを駆使して、従業員の行動を記録・分析することで、組織の効率性と生産性を高めることを目的としている。しかし一歩間違えれば、意図した効果とは逆の結果を招きかねないと、筆者らは指摘する。従業員が「単なるデータ」として扱われることで、まるで「取り換え可能なモノ」であるかのように感じたり、常に監視されていることからプライバシーがなく、安全性も感じられなくなったりするからだ。そうなれば、従業員の士気は低下し、非倫理的な行動に出ることさえある。本稿では、ピープルアナリティクスに内在するリスクを回避し、本来の役割を機能させるために、組織が留意すべき3つの戦略を論じる。
 
  
 かつて、組織が人で構成されていた時代があった。だがいまでは、組織を構成するのはデータだ。

企業はデータマイニングを通して、新たな機会を見出し、予測精度を向上させ、より適切な意思決定を行う術を身につけてきた。その結果、企業の関心対象は、仕事に従事する人間から、勤務時間中に彼らが何をしたかに関するデータに移行した。たとえば、メールを何通送信したか、何人と話をしたか、何回休憩を取ったか、などである。

とりわけ、人的資源管理(HRM)、さらに最近ではピープルアナリティクス(PA)において、従業員データの活用が進んでいる。つまり、労働者が自身のデータによって定義される傾向がますます強まっているのだ。

この変化が意味するものは大きい。人が、そして企業にとっての彼らの価値(実際の価値と予測される価値)がデータによって判断されるようになれば、企業を構成する人材の「非人格化」が進むリスクが生じる。その結果、雇用主の目に「取り換え可能なモノ」のように映る次元にまで、その価値は低下してしまう。さらに、従業員のプライバシーが認められず、安全性を感じられない職場環境を生み出すおそれさえあるのだ。

従業員の「非人格化」というトレンドは、必ずしも最近のものではない。しばらく前から、人的資源管理の軸足は、従業員を一人の人間として「丸ごと」受け入れるアプローチから、画一的な手法を全員に当てはめて管理するアプローチの推進へと移行してきた。

コストを削減し、コンプライアンスと標準化の効率性を高めるために、人的資源管理は主に、達成すべきノルマ、売上げ、契約件数などの観点で、従業員を評価している。そこには、醜い論理がある。すなわち、従業員を取り換え可能な商品のように扱うことで、現代組織の官僚主義がもたらす負担を押しつけやすくなるのだ。そのような官僚主義は減るどころか、ますます増大しているという。

Original Post>